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H30年10月4日(木)「都城空襲と戦跡巡り」

去る十月四日の「都城空襲と戦跡巡り」では、たくさんの方々にご参加いただきまして、誠にありがとうございました。

お天気は、朝から雨の予報でしたが、不思議と雨が降らず、風の心地よい曇り空でした。全てが終わったあと、その直後に待ってくれていたかのように雨が降りだしました。

これも、語り部の来住さんがこの日のために、さらにまた本を多数読み込み、研究し、新たな資料を発掘し、皆様方に戦争の悲惨さと平和の尊さ、命の大切さを伝えたいとの日頃からの想いとそのご尽力がお天気までもを、味方につけてくださったのではないかなぁと感じました。と同時に、参加者の皆様方の日頃の行いのおかげだと心から感謝いたしました。

来住さんが話してくださった、特攻隊の話の中に、お腹に赤ちゃんがいる妻を気遣い、自分が特攻隊で行くことを隠して遺書だけを残して旅立った方。検閲がある中で、本音で遺書を書けず、本音は行きたくないと親戚に漏らして飛び立ったという人間味ある兵隊さんの実話など、とても胸が張り裂けそうでした。

そしてまた、当時4歳だった栫美穂子さん(都城市出身)は、戦時中、中国華北における戦闘の最中、燃えさかる日本軍トーチカの中から、妹7ヶ月とともに、八路軍兵士によって救い出されたとのこと。妹は残念ながら現地で亡くなってしまったそうですが、中国側の聶将軍が、子どもには罪はないとして、日本軍将兵宛に手紙を書き、それを信頼できる農民に託し、日本軍駐屯所へその手紙と共に栫美穂子さんを送り届けたという心温まるお話も聴くことができました。

このことがきっかけで、都城市と重慶江津市(現重慶市江津区)との交流が始まり、都城市と友好都市が結ばれたとのこと。大変感動いたしました。

来住さんには、このように「被害」だけでなく、「加害」、「抵抗」、「友好」の4つのことを大きな柱として話してくださり、それぞれの戦跡巡りも丁寧にたくさんの資料をつけて説明してくださいました。

最後に参りました『都城空襲犠牲者追悼碑』の前では、都城空襲当日のご自身の体験を詳細に話してくださった来住さん。命からがら家に辿り着き、その時家で心配して待っていた母親が、生きて帰ってきてくれたと涙して抱きしめてくれたとき初めて、自分は生きているんだと実感したと話されていました。

一緒に同行くださった語り部の坂口フミ子さんもまた、当時の話を聞かせてくださいました。

機銃により弟さんを目の前で亡くされ、それだけでなく、ご自身も片腕を負傷し、麻酔なしで手術をしなければならなかったとのお話を涙ながらに話して聞かせてくださいました。どのお話も深く胸に突き刺さり、このような悲惨な戦争は二度と繰り返してはならないと強く思いました。

このようにして歴史を知ること、戦争の悲惨さを知ることは、尊い平和を守ることにつながると強く感じました。戦争中たくさんの亡くなった方々の御霊と、戦後を築き上げてくださった方々のご苦労とご努力があって今の平和な世の中があることに感謝し、いつまでもこの平和な時を大切にしていきたいと思いました。

 この度、お話を聴かせていただいたことを、決して無にせず、これからの未来につながるよう、未来の子どもたちにしっかりと受け継いでいけるよう、努めて参りたいと思います。

この度の「都城空襲と戦跡巡り」に語り部として多大なるご尽力いただきました来住新平さん、坂口フミ子さん、そしてご協力いただきました教育委員会文化財課の方々に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。また、お時間をさいてご参加いただきました皆様方にもまた、たくさんのご理解とご協力をいただきまして心より感謝申し上げます。

誠にありがとうございました。


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